今まで、なぜか有名な小説を避けがちであったが、今回、僕は太宰治の「人間失格」を読んだ。
この本を選んだのは、「たまにはこのような小説も」というふざけた考えからである。しかし、そのような動機にしては、本当にいい本にめぐり会えたと思う。
読み始めてから感じたことは、この小説は自分にとって、全く苦痛にならないということであった。楽に読めてしまう。つまり、この本に引きつけられてしまうのである。今まで読んだ小説は、必ず「あとこれだけ」とページ数が気になったものだが、今回は全く気にならず、一気に読んでしまった。
そして、この本に引きつけられただけあり、「読んで良かった。」と読み終わって素直に思った。しかし、この作品のどこがどのように良かったのか、うまく説明できない。よく理解もしていないと思う。しかし確実にこの本は僕にとってプラスであった。
主人公「葉蔵」は、人間が理解できず、一人で悩み続けていた。幼い頃から第三者的な目で他人を見続け、心の中は誰にも見せず、全く別の自分を作り生活していた。
このような葉蔵だったが、決して人々に悪意を抱く人間ではなかった。確かに普通の人間とは違っていたが、決して悪い人間ではなかった。ただ人間に対し敏感で、他人を理解できず、悩んでいたのだ。
そんな葉蔵が行っていた京橋のスタンドバーのマダムは、彼の事を「酒さえ飲まなければ神様みたいないい子でした。」と言った。彼の演技が、これほどまでに怪しまれなかった事にも驚くが、どれだけ彼女が本当の彼を理解していなかったかがわかるのである。もちろん彼女だけではなく、彼の周囲の人みんなだ。彼自身も自分の心を明かそうとしなかったが、それにしても、実に寂しいことだと思う。あれ
だけ大勢の人にめぐり会ったのに、一人も心から理解してくれる人がいないのは、人間として本当に寂しいことだと思う。
この物語は、葉蔵の残した生活の記録が中心となっていて、三つに別れているが、まず第一手記。幼少時代の事だが、親や他人を計算して笑わす事などは、僕にも覚えがあるので笑ってしまった。そして恥ずかしくなった。この頃の葉蔵の印象としては、非常に子供らしくない不気味な子という感じがした。それは葉蔵が大人の悪い面だけを見過ぎたからだろう。陰口など大人の不思議な行動が、彼には理解できず、苦しみ、人間を恐れていったのだろう。第二手記は画塾時代が中心である。酒を飲み始めた葉蔵は、なぜか人間らしくなり、他人を思い、悩んでから回りする生活には可哀想になった。急に人間らしくなり同情してしまった。第三手記、卒業後の生活の記録である。酒と薬に身を滅ぼし、人間から逃れていった。彼は、結局脳病院に連れて行かれたわけだが、彼の意思は「しっかりしていた。」と書かれてある。(薬におぼれていたのだから本当のところはわからないが)自分の意思を無視して連れていかれたのだ。彼は全ての人に見捨てられたと思ったのだろう。「人間失格」という決断の言葉が寂しかった。人間を理解しようとして、他人を思い続け、その途中で酒、薬に出会った。そして病院へ。人間は、たとえどうであっても失格はしないと思いたい。
僕は、この小説を理解していない、考えがまとまらないのである。だから是非ともくわしく説明してくれる人にゆっくり語ってもらいたい心境である。太宰治という人間は、一生関係のない人だと考えていたが、出会って本当によかったと思う。
主人公は、決して悪い人ではない。しかし普通の人間からみると狂人かも知れない。
人間失格だとしたら、人に理解を求めなかったことではないだろうか。