あらゆる世界の月とカビ 八月の防波堤 1994/02
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『THE NAKAIDO REICHI BOOK』仲井戸麗市


 思い出したくも無い、あの出来事、糞のような夏の日々。それで別に世界が変わる訳でも、快楽や安らぎがその後に待ち受けてくれている訳でもない。変幻自在に姿、形を変えるその巨大な糞いまいましい世界。そいつがいつでも横たわっているだけのことだ。全く糞だ。
 俺は別人となり、カビに埋もれながら、腐ったBGMの中で、十代の頃を想い描いて、頑なに秘密を守り、全てを打破してしまうことに駆られる。早く帰りたくて、帰りたくて、帰りたくて、心のマイホーム求めて、月夜のハイウェイを飛ばす。そして聴き続ける、あの夏の日のブルース。
 狂った世界に蠢くあの気狂い共達と、止めどなく溢れかえる怒りと絶望。黒と赤の意識で渦巻きながら、どうにかやり過ごすしかなかった。どうしても打ち破るしかなかった。そしていつも思っていた。いつでも思っている。どうにかならないのか、どうにか、どうにか、どうにか。

 何からどのように書けばいいのか全く解らないのだが、とにかく仲井戸麗市という人は永遠に特別なミュージシャンなのだ。仲井戸麗市がギターを弾き、歌えば、もう全てはそれでいいのだ。そういう存在なのだ。
 勿論、仲井戸麗市以外のロック・ミュージックも大好きで色々と聴いている。が、もし一枚だけを選べと言われたとしたら、迷わず『THE NAKAIDO REICHI BOOK』を持っていく。これは当然、洋楽、邦楽問わず、仲井戸麗市の他のアルバムも含めての一枚だ。『THE NAKAIDO REICHI BOOK』とはそういうアルバムで、それを作った仲井戸麗市とはそういう人なのである。

 最初に仲井戸麗市の世界に魅かれたのは“GLORY DAY”(『HEART ACE』/RC SUCCESSION 収録)という曲だった。“SELF PORTRAIT”(『FEEL SO BAD』/RC SUCCESSION 収録)も大好きで、この二曲はもう完全だった。もう絶対、仲井戸麗市だった。至極勝手で在り来たりなのだが、俺と同じことを考えてる人がこの世に居るんだ、という個人的な共通項をとても強く感じたのだ。ロック云々というよりも、それは人間的に共通な何かだった。
 遅ればせながら発売十ヶ月後に『THE NAKAIDO REICHI BOOK』を聴く。真っ黒だった。そして真っ赤だった。
 ロックの概念など千差万別、決められるべきでもないが、まさしくこのアルバムこそロックなのだと断言できる。ゴーグルで表情を隠しながら、黒い水面へやっとの思いで息継ぎをするこの十一曲達は、不純物など一切無しに刻み込まれた怒りの結晶だ。また、“TEENAGER”“秘密”“MY HOME”“月夜のHIGHWAY DRIVE”など、永遠に輝き続ける本物のラブ・ソングだ。全く美しい。
 この作品は仲井戸麗市が自ら感情を研ぎ澄まし磨き上げた墓碑なのだ。重く、硬く、暗い世界が闇の中にぽっかりと浮かび上がる。これほどまでに感情をそのまま作品として昇華し、成功し得たのは稀ではないだろうか。
 限り無く個人的なその内容は、本来ならば第三者に受け入られるべき筈の無い音なのかも知れない。当たり前の事だが、聴き手は聴き手であり、仲井戸麗市ではないのだ。世代も違い、環境も違い、生い立ちも、愛する人も何もかも違う。仲井戸麗市の怒りは仲井戸麗市のものであり、聴き手のものではない。しかし、サウンドと詞が身体の中に満ちてくる。俺という器の意識や無意識の中に深く混ざり合い、いつまでもどこまでも鳴り響き続けていく。ぽっかりと浮かんだその世界で、俺は静かに眠ることが出来る、そんな気がする。

 夏だった。熱い部屋だった。赤黒いカーペットが敷かれていた。脳味噌はいつも充血していた。全ての奴が馬鹿野郎共だった。しょうがないよな、と言われた。何が一体しょうがないのか。全ての奴等は腐りきっていた。熱かった。あの娘との最高の夜が一瞬にして最低の夜になった。夏だった。熱い夏だった。友人がピカピカの新車を買った。テープをかけた。いきなり止められた。レコードとテープを差し出して来る奴がいた。ダビングを頼まれた。当然中身は変わることとなった。バイオリンが凄いと真剣に誉める奴がいた。ロックとは全く無縁の奴がメロディを口ずさむようになった。夏だった。熱い部屋だった。バイクで三浦半島へ行った。道に迷った。そして行き止まりとなった。とんでもないものを見てしまった。脳味噌はいつも充血していた。仕事の奴等も、企業の奴等も、店の奴等も、同期の奴等も、客の奴等も、学生の奴等も、そこらで酔っ払ってる奴等も、すれ違う通行人の奴等も、腐った自分自身も、全てが敵だった。熱い夏だった。窓を閉めきり、フルボリュームで聴くと、部屋は黒と赤の二色に染まった。

 俺は十九歳だった。夏だった。八月の熱い日だった。そう、全ての事があの時に決まっていったのだ。

『THE NAKAIDO REICHI BOOK』とは、そういうアルバムなのである。許されるならあの世まで持って行きたい、そんなレコードなのである。

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