雑記帳のようなノートにだらだらと書き始めたのは、おそらく二十歳頃のことだと思う。定かではない。その頃から未だに相も変わらず書いていたりするのである。
そのノートに書き綴ったものの中から、似たスタイルの言葉達をまとめたのがこの本であり、そのほとんどをここに掲載した。時間にして、一九八七年(?)から現在までの五年間に書かれたということになる。
まとめ始めたときには、こんなにたくさんあったのかとも思ったが、五年間で六十七編というのはあまりにも少なかったような気がしている。
ノートに書かれていればいい方で、メモ用紙や何かの切れ端などにも書いてあったりした。その程度のものなので、いつ書かれたのかがはっきりと判らなくなっていた。
取り敢えず全編を並べ、厳密ではないが各項目を時間的と内容的の二つの要素で区分した。また、ほとんど題名が無かったので、今回あまり深く考えず、勢いよく付けてみた。
二年程前に一度、この本を作ろうとしたのだが中断してしまった。その時に『原石』というタイトルを決めた。今回、まとめてみて、尚更このタイトルしかないと感じた。
この言葉達は僕の様々な源なのである。それは、感情であり、思考であり、行動であり、言葉のスタイルであり、僕の中に存在するイメージのことでもある。それらがすべて、ここから始まっているのだ。
世界、時間、社会、友人、恋人、自分、それらすべてに対する僕自身の初めての表明であった訳だ。
その始まりの中に、漠然とはしているが絶対に何かが含まれているはずだという勝手な思い込みで、“原石”と名付けた。
さて、この本のこの言葉達なのだが、詞の影響とはいえ、字数が揃っていないので詞とはいえない。かといって、詩なのかといえば違う気がする。自慢ではないが、僕には詩の理解力がまったくないのだ。そんな人間が書いた言葉だ。詩と呼べる訳がない。
では一体、この言葉達は何なのだろうか。
至極勝手な話で申し訳ないのだが、ここにまとめられたこの言葉達から感じられたことは、その時々の自分自身の感情であった。自分のような他人のような、真実のような出鱈目のようなそんな言葉達から、あの時のあの想いが蘇ってくるのだ。
何をきっかけとして書き始めたのか、まったく覚えてはいないのだが、とにかく書かざる得なかった、書かなければどうしようもなかった、そういう状態、そういう状況の中でこの言葉達が残され始めたのは確かである。
その状況を具体的に挙げると切りがないので控えるが、とにかく僕の感情の在り方と、それ以外すべての間に生ずるズレのようなものが、どうにもならないほど大きくなっていた時期である。それは、丁度ロック・ミュージックを真剣に聴いていた頃と一致する。
結局、この言葉達は僕の感情の記録であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、僅かな希望があるとすれば、それら思い出される感情が、顧みるという感触ではなく、言葉のイメージによって再構築されるような形になっていたということだろう。
つまり、言葉達によって記録された僕の感情は、僕の頭の中に残っているそれとはまったく別のものであったのだ。そこには原因も成り行きも関係なく、ただ僕の感情そのものだけが純粋に残されているというものであった。それは僕の気持ちの変化によって生じたことではなく、言葉という世界の何かが機能した為であると思われるのだ。
これらの感情のイメージ、言葉のイメージを作品に昇華することを現在、考えている。
結局のところ、この本の言葉達は、だから何なんだよと言われる程度の代物であり、いつまでも石コロを集めて、原石だ、などと浮かれていては何も変わらないのである。
この言葉達を削り落とし、磨き、輝かせる。それがペンになるのか、ギターになるのか、フィルムになるのかは判らない。ただ、僕がいつか一瞬見たような気がするそれらの世界への鍵を作りたいと思っている。そのための要素なのだ。
だから、この本は僕のこれからのすべての“原石”となるのである。
取り敢えず僕の最初の作品である。まだ何も磨かれていないただのイメージのスケッチにしか過ぎないのだが、僕個人にとっては感慨深いものがある。個人的な内容という意味に於いて、今回は見逃して戴きたい。
最後に、表紙カバーを担当して下ださった○下○澄氏、そして脅しながら励ましてくれた少数の友人達に感謝を込めて。