チャールズ・ブコウスキー「Factotum/勝手に生きろ!」の映画化である。
監督はノルウェーのベント・ハメール。「キッチン・ストーリー」という作品で評価を受けたとのこと。観てない。
その前作のタイトルから勝手に女性監督だと思ってたんだけど、今確認したら、マイケル・ダグラス似のオッサンでした。
プロデューサーはジム・スタークで、ジャームッシュ組。こちらは小泉の元秘書官/飯島系だな。まあ、どうでも良い。
肝心のブコウスキー役はマット・ディロンで、知った時は“ええ〜!?”とか思ったけど、最近の評価が何か高いらしく、スチールを観る限り、外見/空気感も似てたりするので、無理やり納得した次第。許そう。
他、サイトのコメントには中川五郎や寺島進の名前もあったりして、そこそこ期待して劇場へ向かったのだが…。
とにかくこれじゃ、ブコウスキーじゃないな! 何もかもがキレイ過ぎの、おとなし過ぎ!
すっかり女性監督だと思っていたので「女性から観るブコウスキーってこうなのかなあ〜?」なんて感覚でいたけど、まず、もう“汚さ”が足りな過ぎ! ゲロのシーンなんて最悪で、ゲロを吐いたことねえんじゃねか? ってなぐらいに軽いんだな。ブコウスキーなら床でもゲロ吐きそうじゃん!
“暴力”も皆無。バーで殴ったのと、競馬場のシーンだけ? で、そこには“野生”はなく“知性”すら感じてしまう始末。違うんだよなあ〜。
マット・ディロン、すっかり太ってて、真面目に役作りを対応したことは認めるけど、アップになるとやはりキレイな顔付きなんだな。まあアイドルだからねえ〜。ってか、それ以前に全くオーラが感じらないのがさあ…。別に本人に似て無くて良いから、もっと危険な役者にやって貰いたいんだよね。
パソコンとか平気で置かれていたので、時代設定も現代に置き換わってはいるんだろうけど、この時期(「Factotum/勝手に生きろ!」)のブコウスキーって、タイプライター持って無かったっけ? タイプライターはブコウスキーにとって重要なアイテムなんだけど、この映画では紙に書くだけ。しかもメモ用紙に書くシーンもあったりして、違和感アリアリ。
(※この件を調べると、こんな下りがありました。なので設定としては正しかったんだ。「タイプライターをいくつも質屋に入れて流しちまった後、おれは、自分用のを持つなんて考えを捨てた。おれは短編を手書きで書いて送った。そういう時にはペンを使った。そのうち、書くのがすごく速くなった。頭がついて来られないくらいに。週に三、四本の短編を書いた。それを郵便で送るのだ。」
で、この件で再確認しちゃったんだけど、この作品、20代のブコウスキーなんだよね。マット・ディロン、どう観ても後期を演じた感じがするんですけど…)
まあ映画は映画なので、その辺の解釈は自由なんだろうけどさ、ブコウスキー映画として捉えると、やはり納得行かないかな。
とにかく“苛立ち”や“怒り”といった要素を全面的に取り去られてしまったのでは、ブコウスキー映画じゃないよねえ。
まあ突っ込みどころ満載の映画ではあったけど、シナリオ自体をブコウスキー自身が書いたこともあって、『バーフライ』の方が全然ブコウスキー・ワールドでした。今回は第三者としての全く別の角度からのブコウスキー像が描かれている気がして、どうも興味がわかなかった次第。
まあ前回のドキュメンタリー『オールド・パンク』で映し出されたブコウスキーの衝撃に比べたら、100億光年分の一の刺激だな。
蛇足ながら、本当にこんな捉え方で良いのかね? どうやって読めば、こんなソフトなブコウスキーを生み出せるんだ? ってか、本当にブコウスキー好きなの? と感じてしまった次第。(映画としては女性中心に絶賛されてるようだけど…。)
クレジット時に気付いた、ブコウスキーの詩が曲になっていたこと。これは面白いことやってるな、と好印象。以上。