数ヶ月間のこの本の執筆がもうすぐ終わる。
この本のテーマは感情である。僕個人の感情の軌跡をはっきり記しておきたかったのだ。
一人の人間が生まれてから死ぬまで、一つの意思を貫くということは嘘である。時間や空間、それらに伴う様々な要素が、信じられないほど複雑に絡み合う。自己の成長、友人、知人、情報、メディア、政治、経済、生活、文化、環境、芸術、宗教、そんなものが生きている限り、無差別につきまとってくるのだ。それらを僕達は一つ一つ、意識的にも無意識的にも判断し、その瞬間、その瞬間を選択することを強いられている。
そんな今に迫られ続ける人生を、何も影響されずに生き抜くことは不可能である。もし、自らの意志のみで行動している人間がいるとすれば、それは奇跡である。そして、その奇跡とは他人から見れば、気狂いというレッテルを貼られることを意味する。
生きるというその行為が本当に難しい。特に僕などは大変それが下手なのだろうか、時々想像もつかないような落し穴にはまってしまう。そこに捕まってしまうと、生きることがとても面倒になってしまうのだ。意味があるのかどうかは知らないが、心底生きるということが無意味に感じられてくる。
ただ、何もかもが消え去った真暗闇の落し穴で暫く過ごしていると、目が馴れてくるのか、一人でにやにやしている自分にふと気付くことがある。その気付いた自分が可笑しく、ましてその自分が当事者なのに何事もないように、にやにやとしているので、やたらと面白くなってきてしまう。
僕など、ただの若増であり、そんなものは落し穴でも暗闇でも何でもないという声も有るだろうが、その通りこれは僕の人生なのである。この後いつ、真の暗闇が口を開けて僕を待っているのか、誰にも判らないのだ。そこでこれを書いたのである。
人間の記憶などとても曖昧で適当な上、最低なところである過去を美化して当時の怒りの忘却するというような、過ぎてしまえば云々というような、当然この本もそのウィルスにかなり蝕まれているが、とにかくそれを出来る限り、当時の感情で残しておきたかった。そして、この本は僕の現在の感情によって括られている。つまり、過去の自分を総括する意味に於いてこの本は僕の遺書でもあるのだ。
話を戻す。人間は変わっていくものだ。細胞だって生れてからずっと同じものなど、きっとないはずだ。どれも生まれ変わっている。変化しているのだ。
きっと後悔するのだろう、などという選択は数えきれないほど繰り返した。ただ、その時の、その判断の、その僕の頭の中は、今だったのだ。今、右か左か、先のことではない、その時、その場所で今の選択を突き付けられたのだ。
未来などどんどん変わっていく。変わるなどという発想自体が本来あってはならないのだ。ただ、今を我夢者羅に突き進めばそれでいいのではないのだろうか。現在の僕はそう思う。
そんな自分はいつもだらだらだけど…。
さて、この先一体、あなたも私もどうなるのだろうか…?