あらゆる世界の月とカビ セルフ・ポートレイト 1991/07
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 誰かを責めるつもりは毛頭無いのだが、昨年(1990年)夏に受けた○ッキング・オン社社員募集は、僕の人生を一変させてしまった。本当だ。別に誰かを責めるとかの話では無いのだが、僕の生活、思考を変えてしまった。某音楽雑誌の編集長、名前は確か新宿陽一とか言ったな、そいつだけは糞味噌にしてやりたいと思っている。

 中学校二年生の時、仲間の間で映画を観ることがとても盛んになった。(そういえば、この頃だな。ジョン・レノンが殺されたのは。)それで僕も初めて新宿の映画館へ行った。その馬鹿でかいスクリーンには、本当に驚かされた。映画なんて言えば、町映グリーンだったのだ。(たまに町映ローズもあったよ。)それが、突然あのスクリーンだぜ。もう完全にその迫力にノック・アウトされてしまった。それから高校三年生迄、そして今も、映画少年なのである。因みに、その映画館とは新宿ミラノ座である。思い出すねえブレード・ランナー。プラザの思い出はレイダースで、スカラ座はポルターガイストかな。東劇はフラッシュ・ダンスで、武蔵野館は幻魔大戦。それにしても、良く観てたと思う。バイトした金のほとんどが前売券になってたからなあ。
 そのミラノ座で初めて観たというのが、スティーブ・マックイーンのハンターだった。彼の遺作である。スティーブ・マックイーンと言えばポール・ニューマンの顔を想い出す当時の僕は、ジェームス・ディーンと言うとジョン・ウェインの顔が浮かんでいた。映画が始まり、何でポール・ニューマンは中々、出てこないのだろう? と考え始め、あっあの人はポール・ニューマンだ、と思ったりした。何だスティーブ・マックイーンが死んだのか? でも、この人が僕を映画に導いたのだ。

 高校の頃、休みになると映画少年は、友達と小田急線に乗っていた。これから映画を観ようというのだが、電車の中では何故か映画の話題は少なかった。その中心的な話題となっていたのは佐野元春vs甲斐バンドであったり、ビートルズの話であったりした。
 ビートルズ。射殺され話題になったジョン・レノンが、僕をロックに導いたのだ。

 僕のロック体験は非常に遅い。高校卒業後、報道関係の仕事をしながら大学へ通うという生活をしていた為、金、暇間共、余り恵まれていなかった。それで大好きな映画を観る回数が激減してしまったのだ。ビデオは? と思われるかも知れないが、その頃ビデオデッキを持っている友人等、僕の周りには本当の一握りしか居無かった。そして、ビデオ・レンタルもやっと出てきたという感じで、一本1,000円もしたのである。僕には全然手が届かなかった。そこで僕は大学時代、割と安い貸レコード屋さんに行ったり(貸CDじゃ無いよ)、FMを聴いたり(これは高校の頃からだな)して、とにかく音楽を深く聴くようになっていった。
 前の文章(「一九九一年のロックとは何か?」/○ッキング・オン社課題作文)にも書いているが、ロックなど宗教であり、魔法なのだ。僕の思考はそれ以降、どんどんその質の悪い宗教に毒されていった。そしてそれは真実だったのだ。

 卒業後、有耶無耶を持ち乍ら、某○味○券印刷株式会社に永久就職する。大学時代、数少ない友人に助言された。「オ前にネクタイは似合わないよ」。同じような事が高校時代にもあった。甲斐真澄という方から、「映画をやれよ」と言われたのだ。これがつまり、有耶無耶なのだ。そして本人が、それを一番良く知っていた訳だ。
 高校時代の助言は、正直、余り反省していない。何是かと言えば、あの時そのまま映画に進んでしまったら、これほどロックが僕の中で肉体化しなかったのでは、と思えるからだ。あのボケーっとした大学生活と怒りの報道の仕事などが合致して、僕はロックに目覚めていったと考えている。だが、そうやって目覚めて、僕はネクタイをしめて、AM9:00には市ヶ谷迄、通ったのだ。一回も遅刻をしないで、毎日毎日、総武線に揺られていたのだ。 勤務中も感じていた有耶無耶は、怒りに変化していった。余りに退屈な毎日が、僕には適していなかった。と思い込んでいたのかも知れない。しかし、結論はどうであれ、生理的に、常に僕は周りの人達とずれていた。僕は個人で、周りは大勢で、民主主義社会の中では僕は間違いなのだが、全くそんな意識は無かった。奴ら、何も解っちゃいない。
 そんな時だ。大学時代から購読していた○ッキング・オンに社員募集の告知を見たのは。こんな納得できない社会から抜け出してやると、会社の非常階段で洋服に着替え、コンサートに行く少年は考えていた。

 映画と音楽。僕が生まれて今に至る迄、この二つは、僕を育て導いてくれた。学校の教育ではない。親の躾ではない。勿論、生きてきたからには様々な影響を受けてきた訳だし、お世話になった方々も何人も想い浮べることができる。だが、なのだ。映画や音楽、それに本や画、これらは僕の基礎を形成した。他には何も譲れないのだ。そして、僕はそれに所属してというより、騙されていて、だから何かしなくてはいけないのだ。そうしないことには、僕は存在しない。

 僕は友達が少ない。映画や音楽関係で? と思われるだろう。それが、そうは趣味の合う人間は、居るものではないんだ。そして、「趣味は音楽で」とか言う奴の好みは、本当にどう仕様も無いぐらい悪くて。と、他人を傷付けるのはやめよう。つまり結論を言えば、僕は解る人間なのだ。良いものが。良いもの、正しいものしか受け付けないのだ。それは人間関係には如実に表われてくる。僕は本物しか友人は作らない。そして作れないのだ。

 音楽や映画の話になると、僕は相手の人が親しくない場合、異常とも思える程、警戒心を示す。探りを入れるのだ。自分に自信が無いと言えばそれ迄だが、下手な相槌で神聖なものを傷付けられたくないのだ。しかし、この歳迄、これは良くなかった。自分は正しいと言ったところで、自分の位置が全く見えていなかったのである。僕は口うるさい素人なのか、本当に本物の素晴らしい才能の持ち主なのか、自ら変てこなパラノイアであった。それが○ッキング・オンの応募により解明された。

 ○ッキング・オンだぜ。○ッキング・オン。あれだけ主張の激しい、マニアックな雑誌だぜ。買ってくるだけで、友達になりたくなっちゃうような奴らなのに、社員応募する奴なんか全く優れもので、ただの嫌な奴らだゼ。そこに1000人中の20人だったのだ。僕は。初めて僕は自分の位置を知った。しかも、落とされた理由も自分自身、解っているのだ。僕は、そうなのである。下らない悩みを抱えるべき人物では無いのだ。笑っちゃうけど。30歳迄に有名になるよ。そして裕子と暮らすのだ。ハッハッハッ。

 結局、前回落ちて、僕は泥沼の中を泳いでいた。かなり悪ふざけの下品な泳ぎであった。多少、今も続いている。しかし、もう全ては僕の射程距離の中なのだ。

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